臓器全身スケール研究開発チーム
石川 顕一
がんの重粒子線治療とは、重粒子線(炭素などのイオンを加速してできるビーム)を病巣に集中的に照射することによって、非侵襲に(切らずに)がんを治す最先端の治療法です。放射線治療で用いられているエックス線は、がん病巣で止まらずに進み、通り道にまんべんなく影響をあたえます。これに対して、図1に示すように、重粒子線は停止する直前に最も影響を与えるため、エネルギーを適切に選べば重粒子線はちょうどがん病巣の位置で止まり、ピンポイントにがんを攻撃できます。現在、重粒子線治療は高度先進医療として認可されており、急速に注目度が上がっています。
外科手術の場合には、どの部位を切っているか目で見て確認することができます。ところが、重粒子線治療の最中には、ビームがどこに当たっているのかモニターすることができません。そのため、あらかじめどのような条件のビームを照射すれば効率よく線量(放射線の量や影響)を病巣に集中させることができるか計算する必要があります。つまり、シミュレーションの高度化によって、治療の効果をますます向上させることができるのです。
重粒子線は、人体に含まれる原子と衝突して、イオン化・原子核反応などの様々な現象を引き起こします。色々な組織からなる体の中のどの位置でどのような反応をするのかは複雑で確率的です。私たちは、多数の入射粒子の輸送・反応過程を、乱数を用いてなるべくそっくりそのまま追跡するモンテカルロシミュレーションを用いて、重粒子線による線量を従来よりも正確に計算する手法の開発に取り組んでいます。
現在の治療では、通常、がん病巣とその周辺への効果だけを計算しています。しかし、重粒子線は放射線の一種ですから、がんがなおって何年、何十年もたってから二次的ながんを引き起こす可能性があります。人間とは欲張りなもので、治療成績が高いがゆえに数十年先の二次的ながんのリスクまで考えた治療計画が必要であると考えられるようになってきました。そのために、重粒子線による線量の全身の分布を計算する研究を進めています。全身を小さな立方体(ボクセル)の集合として表現したボクセルファントムに対して全身の線量を計算した結果の例を図2に示します。このような計算を通して、私たちが開発しているシミュレーターは、がん病巣から遠い部位での線量にどのような反応や粒子が寄与するのかを明らかにし、リスクがより少ない安全な治療の実現につながると期待されます。
人の体は呼吸とともにうごきます。だからといって、CTを何回も撮るとX線の被ばくが増えてしまいます。そこで、肺の動きもコンピューターでシミュレーションし、呼吸がおよぼす影響を調べる研究を進めています。大阪大学の和田成生教授の研究室で開発された肺運動モデル(スプリングネットワークモデル)と組み合わせて、重粒子線の線量が呼吸によってどう変わるかを計算した結果を図3に示します。息を吸った時と吐いた時では、線量分布が違っています。このような効果も考えれば、より精密な治療ができると期待されます。
私たちが取り組んでいるシミュレーションは、膨大な計算量を必要とします。次世代スーパーコンピュータを活用して、1回のCTスキャニングにもとづいて完全にシミュレーションベースで、臓器の運動や二次的ながんのリスクまで考慮した精密な治療計画を行うシステムを開発することを夢みています。
BioSupercomputing Newsletter Vol.1