臓器全身スケール研究開発チーム
チームリーダー
高木 周
臓器全身スケール研究開発チームの基本的な方向性は、MRI、CT、超音波などによって取得された画像データをもとに、さまざまな臓器をはじめ、循環器系、呼吸器系、筋骨格系、神経系など、すべてを備えた人間の全身モデルを三次元的にコンピュータ上に構築し、再現された人体に対していろいろなシミュレーションを行うことにより、生命現象の理解を深めたり、病気のメカニズムを追ったり、病気の予測を行ったりして、医療現場での診断や治療に役立てることです。言い換えれば、医用画像データの“静的な情報”に生命を吹き込んで、動的なものを生み出していくことといえるでしょう。そのために、オイラー型流体構造連成手法などの新しい解析手法の開発や適応にも力を入れています。固体解析で一般的に用いられるラグランジュ型(物質点にのって方程式を記述)では臓器の変形とともに格子(メッシュ)の生成が必要となり、全身ボクセルデータと親和性が良くないという問題があるのに対して、流体解析で良く用いられるオイラー型(空間的に固定した点で方程式を記述)では、数学的には複雑になるものの、医用画像データを取り扱うには非常に都合のよい手法となります。
研究開発チームは、取り扱う現象や研究方法の違いによって、「全身ボクセルデータ作成の高度化と臓器全身力学モデルの構築」、「低侵襲治療法支援のための人体内超音波・重粒子線伝搬シミュレータの構築」、「心臓シミュレータの次世代スパコンへの実装」、「血管網の構築と血液循環統合シミュレーション」、「肺呼吸・肺循環統合シミュレーション」という5つのチームに分かれて研究開発を推進しています。とはいえ、プロジェクトの究極の目標の一つは、「生命とは何ぞや」を理解するというところにありますから、人体をひとつひとつの臓器に分けて、見かけ上の全身としてとらえるのではなく、各臓器が互いに連携した全体としての全身を理解するという方向で研究を進めています。そのため、例えば各臓器を結び付け、それぞれの機能を持つ臓器を全体として有機的に連携させている血管網などは、非常に重要と考えています。この血管網に関しては、全身ボクセルデータを基に、心臓から動脈静脈血管系、毛細血管までの血流循環に関する動的なモデルを構築し、循環器統合マルチスケールシミュレータの開発を行っていこうとしています。さらに循環器系では、血栓症や微小循環障害を対象とした血小板・赤血球の凝集、血管壁への接着などに関する血行力学的立場からの数値解析も行われています。循環器系の疾患として非常に重篤な影響をもたらす、血栓症に関する研究は特に重要です。心臓や脳の血管で血栓が詰まるという現象だけみると、局所的な現象のように思われがちですが、実は血小板があちこちの傷んだ血管で活性化され、それが積り積って血栓になるプロセスを見ていくと、これも循環器系全体に関わる問題なのです。
血液は生体内の物質輸送媒体として重要な働きを担っています。そのなかでも極めて重要なのが、酸素・二酸化炭素の輸送です。その意味では肺の働きに注目する必要があります。そこで、肺におけるガス交換プロセスのシミュレーションにも取り組んでいます。もうひとつ、心臓が生命活動にとって重要な臓器であることは言うまでもありませんが、この心臓については、すでに完成度の高い心臓シミュレータが開発されています。東京大学のマルチスケール・マルチフィジックス心臓シミュレータです。これを次世代スーパーコンピュータに実装すれば、それこそ心筋細胞ひとつひとつの運動から心臓全体の動きまでをシミュレーションすることが可能になり、心臓疾患に関する高度医療に大きく貢献するものとなるでしょう。
医療への応用という意味で特に力を入れているのは、超音波や重粒子線を用いた低侵襲の照射型治療シミュレータの開発です。集束超音波を使って前立腺がんや乳がんの腫瘍を焼灼することは、すでに実際の医療現場で行われていますが、骨で囲まれていたり、身体の奥深いところにある臓器などでは、どのように照射するかが非常に難しいのです。人体の内部には音波の伝搬特性が大きく異なるさまざまな部位が存在しますから。照射の強度や集束域などを個人個人の身体の特性に合わせて予測できれば、医療現場で非常に役立ちます。将来的には、頭蓋骨越しに脳腫瘍を焼灼することなども可能になるはずです。
生体のシミュレーションを行う際に、私たちが最も大切だと考えているのは、どこに曖昧さを持っているのかをクリアにしておくということです。例えば、全身ボクセルデータを構築するために使用する医用画像データは、正確に表面の位置を判別できるわけでなく、もともと誤差を含んでいます。私がこれまでやってきた流体の基礎研究分野では、数パーセントの誤差を改善するために多くの研究者が議論を交わしますが、多くの場合、医療現場ではそこまで厳密な精度は求められていません。「人体は複雑で、それほど簡単にすっきりとメカニズムを説明できるものではない」という考え方が根本にあります。また、そんな複雑な人体をモデル化する過程で、どうしても曖昧さが含まれます。しかし、だからと言って数値計算手法に曖昧さが含まれていいということでは決してないのです。計算手法そのものは数理的に矛盾のない、誤差の少ないものを確立していかなければなりません。そして、その計算手法を用いると、どこで誤差が生じ、精度が減少していくのかをしっかりと把握した上で、曖昧さを含む生体モデルのシミュレーション結果を利用できるようにしておくことが非常に重要なのです。
BioSupercomputing Newsletter Vol.1