BioSupercomputing Newsletter Vol.4

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SPECIAL INTERVIEW
バイオスーパーコンピューティングが拓くライフサイエンスの未来

シミュレーション科学の活用で
栄養学や健康管理の新たな可能性が
拓かれることに期待

安東 敏彦

味の素株式会社 ヘルスインフォマティクス班
グループ・エクゼクティブ・プロフェッショナル
安東 敏彦

シミュレーションから生まれる新しい視点

スーパーコンピューティング技術産業応用協議会のライフサイエンス応用分科会でも中心的な役割を果たしておられますが、 シミュレーションというものにもともとご関心を持っておられたのですか。

●安東(敬称略) 現状を申し上げると、食品業界でシミュレーションを活用している事例というのは、非常に限られているといっていいでしょう。 例えば、冷凍食品を加熱する際に、最も熱効率のよいトレーの形状を開発するためにシミュレーションを行ったり、食品の製造プロセスの設計にシミュレーションを使うとか、その程度です。 ただ、当社では、研究開発部門において、血中のアミノ酸濃度を測って健康管理に役立てるという「アミノインデックス」の研究開発に取り組んでいます。 これは、代謝物ネットワークの中心的な存在であるアミノ酸の濃度パターン(アミノグラム)を指標として、健康状態を解析できるのではないかという考えのもとで、健康チェックや病気の診断に役立つ情報の提供、薬の効果や副作用の予測などといった新しい事業化の検討や、アミノ酸を利用した新商品開発への活用などをめざすというものです。 私もこの研究開発に携わっており、そのなかで、もしかしたらシミュレーションというものがうまく活用できるのではないかと考えたのです。 例えば、病気になると生体アミノ酸のパターンというのは変化します。 なぜ変わるのかは、いまひとつはっきり分かっていませんが、確かにあるアミノ酸が多くなったり、別のアミノ酸が少なくなったりと、バランスが変わります。 こうしたバランスの変化や、そのメカニズムを理解するのはすごく難しいのですが、シミュレーションを使えばうまくいくのではないかというわけです。 そうしたこともあって、現在、バイオスーパーコンピューティング分野で進められている細胞レベルの代謝シミュレーターの研究開発には、とても期待しています。

確かに、医学とは異なりますが、栄養学や健康食品の開発などにも、シミュレーションが活用できるかもしれませんね。

●安東 こんなことをいうと、栄養学の先生方に怒られるかもしれませんが、栄養学で教えることというのは、昔からあまり変わっていないように思います。 栄養学の分野にシミュレーションによる新しい視点が加わるというのは、とても重要なことだと思います。
 福岡伸一さんの著書『動的平衡』にも書かれていますが、人間の体は、だいたい3、4カ月で、全部が置き換わってしまいます。 アミノ酸でいうと、まず食事でタンパク質を食べますよね。 だいたい1日に70gくらいです。 それが消化されて分解して血液に吸収されますが、それによって、1日に180gくらい筋肉などのタンパクに合成されます。 その一方で、逆に180gくらいが分解して、アミノ酸になって、遊離アミノ酸として50gくらいが体内にプールされ、そのうちの45gくらいが細胞内、5gくらいが細胞間にあり、血中には1gくらいあります。 だいたいそんなバランスになっています。 また、血中を通じて70gが便や尿とともに排出されていく、こういうサイクルです(図参照)。 そして、そのサイクルで考えると、3、4カ月でほぼ全部置き換わることになります。 食べたアミノ酸が、そのままアミノ酸として使われるのではなく、いろいろな代謝を受けて、有機酸になってみたり、アミンになったりしながら、体内に取り込まれているわけです。 そんな、ものすごく早い代謝回転がありますが、それでも人間の形は変わりません。同じ形が維持できているということは、すなわち平衡状態を保っているわけです。 それが動的平衡です。 その動的平衡の中心にあるのがアミノ酸であると、私は勝手に思っているのですが、とにかく、タンパクのターンオーバーというのはすごく大事なわけです。 それが体の平衡を支えているといってもよいと思います。 実際に早い回転ですが、血中のアミノ酸は、わずか1gです。 体重50kgの人は、10kgくらいの筋肉がありますが、それに対して血中には1gしかありません。 1万分の1です。 しかし、それでも一定の値を保ち、アミノ酸が平衡を保っているわけです。 こうしたことをしっかり理解した上で、カロリー数だけでない栄養学というものがあってもいいのではないでしょうか。
 もうひとつ、興味をもっているのはクロノニュートリション(時間栄養学)です。 簡単にいうと、栄養はいつ摂取しても同じというわけではなく、タイミングが大事だという話です。 薬では、薬の代謝パターンを考えながら、いちばん副作用が少なく効果があるのはいつか、夜寝る前がいいのか、朝起きたときがいいのか、といったことを研究している先生がおられます。 同じように、食事でも、いつどのように食事をとるのが健康バランスを保つ上で効果的なのかを研究している栄養学の先生がおられます。 こうした時間という概念を加えた新しい栄養学の分野で、シミュレーションが役に立ちそうな感じがしています。 何かを食べるというパータベーションをかけたときに、人間の代謝が時系列的に変わっていくというのをシミュレートすることができれば、どういう栄養をいつ摂取すれば最も効率的で体にいいか、その人に合った栄養管理に関する情報が提供できるようになるのではないでしょうか。 また、栄養とか代謝というのは超複雑系で、関与する分子も多いですから、なかなかコントロールするのが難しい。 ちょっとしたことでバランスが変わってしまうけれど、それを維持するのが大事です。 そういったことがシミュレーションで分かってくると、すごく役に立つことが多いのではないかと思います。

健康シミュレーターも実現可能

栄養管理にシミュレーションを活用するというのも新しい視点ですね。

●安東 欧州を中心に世界中の栄養学会で取り組まれているのが、ファイト・アゲインスト・オール・マルニュートリション(すべての栄養不良との闘い)というキャンペーンです。 栄養不良は、発展途上国の問題のように思われますよね。 確かに、貧困や食料不足で食べられなくて、栄養不良になるケースは多いのですが、日本のような国には栄養不良がないのかというと、そうではないのです。 ご高齢の方で栄養不良の方は、結構たくさんおられるのです。 例えば消化機能の低下や、食べる気力がなくなるなど、いろいろなことで食べられなくなるケースがあります。 また、生活習慣病の食事制限で栄養不良になってしまうケースもあります。 どういうパラメーターを管理すれば、栄養不良にならずに済むのか、そういう研究にも、もしかしたらシミュレーションが使えるかもしれません。
 病気を治すことももちろん大切ですが、いつまでも健康な体を維持していくということも、とても重要なことだと思います。 そのためにシミュレーションにできることが、何かあるように思います。 例えば、健康バロメーターのようなパラメーターを見つけて、健康が維持できる方法を個別に提供していくというようなヘルスケアがあってもいいかもしれません。 夢物語ですけれども、自分のパラメーターデータを、例えば3カ月とか半年ごとに測っておき、そのデータを解析してもらうと、自分の健康状態や健康を維持するためのさまざまな処方箋が返ってくるというようなシステムができたらいいですね。 それが可視化できるようにしておけば、もっと面白いかもしれません。 そんな健康シミュレーターはどうでしょうか。 何千万人というたくさんの人たちが登録して、データを集めることができれば、健康のトレンドが明らかになって、将来はこんな病気に備えることが必要だといった「健康予報」なども出せるかもしれません。 こうした試みに、産業界全体で取り組んでみるのも面白いかもしれません。

成功事例が示せれば産業界は動く

シミュレーションに対する産業界の反応というのは、まだ弱いとお感じですか。

●安東 そうですね。分野によっても違うと思います。 ものづくりの分野では一生懸命やっておられる企業は多いですよね。 ただ、一般的にいえるのは、産業界で活用してもらうためには、学術的なことだけでなく、経済的に大きな効果が得られるかどうかということがとても重要ではないかと思います。 シミュレーションを活用すれば大成功するということをみんなが納得しないと、「使うのもたいへんそうだし」ということになるのではないでしょうか。 何か経済的に大成功した事例を示すことが必要だと思います。 どのジャンルにも、それぞれのジャンルごとに成功ルールというものがあります。 スパコンをこう使ったら、うまくいって勝ち組になれるといった成功事例、そういうパラダイムが提示できないと、スパコンを使う人は大きく増えないように感じます。 成功事例は数多く必要なわけではありません。 ただ、大成功した事例が1個あればいいと思います。 そうした事例を、今回のライフサイエンス分野でもやってもらいたいと思います。 広く浅く進めていくのでなく、可能性のあるものに集中して絞り込んで推進し、突破口となる結果を出してもらえると、産業界の意識も変わっていくのではないでしょうか。
 あとは、いきなりスパコンを使うというのも難しいかもしれません。 ハードルが高すぎるように思います。ある種の「お試しシステム」のような仕組みがあるといいのではないでしょうか。 その意味では産・学の連携のあり方なども工夫する必要があります。 シミュレーションは学に任せるなど、お互いの得意分野を活かす方法も、検討する必要があるでしょうね。

アミノ酸代謝の動的平衡:食事で摂ったアミノ酸等によって、
数ヶ月で身体のタンパク質が置き換わってしまいます。

アミノ代謝

BioSupercomputing Newsletter Vol.4

SPECIAL INTERVIEW
経験重視の観察型医療から予測型医療への転換を図り、理論医学の基盤を構築するために
東海大学医学部内科学系(循環器内科)教授
東海大学医学研究科バイオ研究医療センター代謝疾患研究センター長
東海大学総合医学研究所代謝システム医学部門長 後藤 信哉
シミュレーション科学の活用で栄養学や健康管理の新たな可能性が拓かれることに期待
味の素株式会社 ヘルスインフォマティクス班
グループ・エクゼクティブ・プロフェッショナル員 安東 敏彦
研究報告
多剤排出トランスポーターの機能を粗視化分子シミュレーションで実証(分子スケールWG)
京都大学理学研究科 高田 彰二/姚 新秋/検崎 博生
時空間を考慮した細胞シミュレーション(細胞スケールWG)
理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム 須永泰弘
強力集束超音波による低侵襲治療のためのHIFUシミュレータの開発(臓器全身スケールWG)
理化学研究所 VCADシステム研究プログラム 沖田 浩平
大規模数理モデル構築を目的とした共有モデル開発プラットフォーム:PLATO(脳神経系WG)
①理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム
②理化学研究所 脳科学総合研究センター
稲垣 圭一郎 ①/観音 隆幸 ②/ Nilton L. Kamiji ②/槇村 浩司 ②/臼井 支朗 ①②
報告
BMB2010(第33回日本分子生物学会年会 第83回日本生化学会大会、合同大会)におけるワークショップ開催報告
生命体統合シミュレーション ウィンタースクール2011
理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム 石峯 康浩(臓器全身スケールWG)
東京大学医科学研究所 浦久保 秀俊(脳神経系WG)
理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム 須永 泰弘(細胞スケールWG)
理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム 舛本 現(開発・高度化T)
理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム 三沢 計治(データ解析WG)
理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム 宮下 尚之(分子スケールWG)
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