BioSupercomputing Newsletter Vol.3

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SPECIAL INTERVIEW
バイオスーパーコンピューティングが拓くライフサイエンスの未来

さまざまな最先端研究基盤を統合して
活かすためにもスーパーコンピュータの果たす役割は大きい

西島 和三

持田製薬株式会社 医薬開発本部 専任主事
東北大学 客員教授
西島 和三

新薬の開発成功率はわずか2万5千分の1

製薬業界の研究開発を推進する立場から、西島さんはさまざまな最先端の研究基盤に関わっておられますね。

●西島(敬称略) 最初は、SPring-8でした。日本製薬工業協会で専用ビームライン(BL)の共同利用を行うために、製薬協の蛋白質構造解析コンソーシアムを22社(現在は合併等により19社)で立ち上げました。日本の製薬会社は、どこも世界から見れば中堅クラスです。そうした会社が、世界トップレベルの公的施設に1社で専用BLを建設するというのは、なかなか難しい。そこで業界としてコンソーシアムをつくり、みんなで利用していこうとしたわけです。さらにその後は、多くの創薬産業が理化学研究所(横浜研究所)のNMR(核磁気共鳴)施設、東海村J-PARC(大強度陽子加速器施設)、高エネルギー加速器研究機構(つくば市)の放射光施設PFも同様に使うようになり、国際宇宙ステーションの実験モジュール「きぼう」にも、すでにコンソーシアム加盟企業8社が宇宙にサンプルを送っています。そしていよいよ京速コンピュータ「京」、さらには再び播磨科学公園都市(兵庫県)に戻ってXFEL(X線自由電子レーザー)が、第4期科学技術基本計画で推進され、私たちもオールジャパン体制で 創薬に向けて利用していく取り組みを進めていくことになると思います。

製薬業界にとって、こうした最先端研究基盤の積極的な活用が、重要な意味を持つわけですね。

●西島 ええ、その通りです。製薬協の最新データを見ると、2004年から2008年の5年間で、日本で創薬をめざしてつくられた合成(抽出)化合物はおよそ61万種ありました。そのなかから承認された新薬がいくつあるかというと、わずか24個です。5年間でたったそれだけです。確率は25,482分の1。まさに奇跡的にたどり着いたといってもよいほどの確率です。その新薬にかかる研究開発費用はどれくらいかというと、新薬1つに約700億円です。日本の製薬会社のなかで、最初から最後まで単独で開発を行える会社は10社に満たないと思います。開発費を確保することが難しいためで、途中から他社と共同開発にするケースも多くなっています。多少利益が減っても、薬として世に出すことが第一ですからね。この開発費用のうちの約7割が、臨床試験以降にかかっています。非臨床試験までの経費は約3割、つまり私たちが最先端研究基盤を活用して探索的な創薬をめざしていくための予算は、全体の3割しかない。当然、社内外での発言力も臨床試験に関わる部門の方が強くなります。しかし、私は企業努力が十分に反映可能なのは臨床試験にいたるまで、つまり創薬の上流部分だと考えています。たとえば、タンパク質の構造解析をしたり、スクリーニングテストを行ったりして、新しい化合物を見つけ出す、こうした源泉探しともいうべき部分が、とても重要なのです。ところが、重要ではあるけれど、上流の流れは弱くて、やがて大海に流れ込むことを頭に描きながら研究開発をやっているので、志は高いし、元気もあるけれど、お金は限られており、途中で流れが枯れてしまう可能性も少なくありません。それでも、開発候補化合物の探索効率化などを進めながら、取り組んでいく必要があります。そのために最先端研究基盤の積極的な活用が求められるわけです。

薬の貢献度が低い疾病の克服に向けて

新薬をつくり出すための方法は、日々変化しているのでしょうか。

●西島 我が国では、ちょうど製薬協の蛋白質構造解析コンソーシアムを立ち上げたころから、大きく変わってきました。それまでの創薬というのは、まず病気の症状があって、それからその原因を探すわけですが、実は標的はあくまでも推定です。でも、病気と関連があるだろうということで、多くの化合物や天然物などでいわゆるランダムスクリーニングをやっていたのです。そうやって、新薬を探索していました。新しい創薬では何が違うかというと、まず薬の標的である受容体や酵素が推定ではなく、構造・機能解析によってはっきりさせることができるようになって、合理的に新薬の探索ができるという点です。また、ゲノム情報などをもとにタンパク質の発現を調整させて、それが病気に絡んでいるか、薬の標的かどうか検証することができるようになり、合理的に病気を治すための薬をデザインすることが可能になったのです。さらに、分子イメージングなどの利用によって、薬の生体内での働きや治療効果を確認することもできます。まさに対処療法的な創薬から、根本治療をめざす合理的な創薬の時代に変わってきたといえます。そして、そのためには、最先端研究基盤の統合による合理的な創薬の実践が欠かせません。

そうした合理的な創薬の実践は、今後、どのような病気に向けて進められるのでしょうか。

●西島 さまざまな疾患に対する治療満足度とその治療に対する薬剤の貢献度についてまとめたデータがあります(図1)。これを見ると、すでに手術や薬によって非常によく治せる疾患と、反対に治りにくくよい薬もないという疾患がはっきり表れています。高血圧症、高脂血症、消化性潰瘍、結核などは、すでによい薬が出揃っていることが分かります。一方で、認知症、糖尿病の合併症、さらには各種の癌などについては、薬はいろいろあるものの、満足度は非常に低いことが見えています。なぜかというと、たとえば認知症は進行をおさえるのが精一杯で、今のところ治すことはできません。糖尿病も一度発症したらずっと治療を続けていかなければいけません。つまり、治せないわけですから、当然、薬も本質的に貢献していないということになります。したがって、今後の合理的な創薬の実践は、こうした薬の貢献度が低い疾病の克服に向けて行われていくことになります。

さまざまな疾患に対する治療満足度と薬剤の貢献度

文部科学省の分子イメージング研究戦略推進プログラム(第2期プログラム)でも、難治癌、認知症の2分野に取り組んでいくことが示されましたね。

●西島 癌や認知症に特化したいちばんの理由もそこにあるのです。言い換えれば、これらの疾患では、薬の標的部位がはっきりしないわけです。これを克服するためには、従来の方法ではなく、まさに最先端研究基盤の統合による創薬実践が必要です。たとえばそれは、脳科学の躍進や脳と神経系の理解の深化と統合であり、スーパーコンピュータの活用による神経・脳細胞シミュレーションの進展であり、診断や創薬などへの分子イメージングの貢献であるわけです。医者も患者も困っているし、製薬会社も困っているこの分野に、最先端研究基盤を投入していくことは、国民の誰もが望むことであると思います。そして、京速コンピュータ「京」の活躍の場も、まさにここにあるといってよいのではないでしょうか。これからの科学技術をけん引するとか、世界ナンバーワンであるとか、そんなことよりも、大切なのは国民の目線です。あなたやあなたのご家族が検査を受けたときに、たとえば、これまでのコンピュータだと精密な画像処理、膨大なデータ処理・比較等によって診断結果が出るまでに2週間かかる。しかし、京速コンピュータを使えば30分で結果が分かるかもしれません。不安な気持ちで2週間待つのと、その場ですぐに分かるのとどちらを選びますかと聞かれたら、誰でも早く結果が出る方がよいと思うはずです。そのためにお金を使うのであれば、国民の理解も得られると、私は思います。また、認知症のような脳科学では、血圧を下げたり、体内に入ってきた細菌を殺すといったレベルとは創薬プロセスの次元が違います。認知の問題ですから、実験動物を使ってすべて試せるものでもなく、かといって、人間の脳を開けて薬を試すということも簡単ではありません。そうすると、スーパーコンピュータを活用してシミュレーションをやるしかないという局面もあるわけです。極端な事例ですが、あなたの頭を開けてもいいですか、それともスーパーコンピュータを使いますかといわれたら、答えは決まっていますよね(笑)。認知症のように、シミュレーションをやらざるを得ない分野が、実際にあるわけです。

次世代を切り拓くための人材育成が重要

スーパーコンピュータという高度な計算資源が、製薬業界が進めていく合理的創薬の実践にとっても必要であるということですか。

●西島 たとえばSPring-8を使えば、データ量はそれまで自社でやっていたX線解析に比べて10倍、20倍というようにどんどん増えていきます。精密になればなるほど、画像がきれいになるほど、データ量は増えて減ることはありません。そのとき、自社のコンピュータをバージョンアップしていくか、国の研究機関が所有しているスーパーコンピュータを利用したり、あるいはスーパーコンピュータを使える大学と連携していくか、そうした選択も当然考えていくことになると思います。

製薬業界にとって、スーパーコンピュータ利用の可能性としては、大量のデータを処理するため、そして先ほどお話に出たシミュレーション、この2点が大きいということですね。

●西島 もちろんタンパク質の構造もそうですし、ドラッグデザイン、病態モデルもそうですが、シミュレーションはこれからますます重要になってきます。特に先ほどお話した認知症はじめ、糖尿病の合併症、癌の一部のような、治療の満足度、薬の貢献度が低い疾患についてはシミュレーションによる研究が重要になると思います。また、これからは処理速度も大切です。できることなら最速のものを使いたいという思いは、産・学・官共通です。さらに可能であれば、他の最先端研究基盤とスーパーコンピュータが統合されて、あらゆるものがひとつにまとまって利用できる環境整備が重要です。ユーザーがスーパーコンピュータを意識しないで利用しつつある、そんな使い方ができれば、もっとよいと思います。たとえばSPring-8でデータが取れたら、直ちに京速コンピュータで構造・機能解析が行われ、バーチャルスクリーニングも実施できる、そんな環境が整えば素晴らしいですね。というのも、これからの時代の創薬というのは、個々の最先端研究基盤だけではできません。全てを統合させて、オールジャパンで取り組んでいくことが必要です。そのなかで、今後、いちばん重要な部分にスーパーコンピュータが絡んでくることは間違いありません。最先端研究のデータはどれも精密ですから、それを活かすためにはスーパーコンピュータの高い処理性能が必要なのです。

最後に京速コンピュータ完成後の運用などについて、ご意見がありましたらうかがわせてください。

●西島 これまでさまざまな最先端研究基盤とその運用を見てきて、強く感じるのは人材育成についてです。日本の施設には、その施設を発展させていくための余裕が足りないように感じます。施設そのものをつくっていくのは得意ですが、運用が開始されてから、それをよりよく発展・展開させていく予算がつかないのです。そのため、そこでの人材育成がうまく行われていません。施設というのは、それを最低限維持させていくだけでなく、発展的な将来を考えるための余裕が必要だと思うのです。具体的にいうと、次世代のために、もっと若い人たちを育てる工夫がほしいのです。たとえば、研究課題の採択のときに、優秀なものだけを選ぶのではなく、20代、30代の若手研究者の枠をつくるなどで、次の時代を開拓していく人たちを育成することを考えてほしいですね。今回の京速コンピュータに関していえば、この次の次世代コンピュータは、恐らく同じ発想の延長線上では難しいと思います。新たなブレイクスルーが必要です。それを実現するのは、20代、30代の若い研究者、技術者であるに違いありません。そうした人材をどうやって育てていくか、そこをしっかり考えていただきたいですね。

BioSupercomputing Newsletter Vol.3

SPECIAL INTERVIEW
さまざまな最先端研究基盤を統合して活かすためにも
スーパーコンピュータの果たす役割は大きい

持田製薬株式会社 医薬開発本部 専任主事 東北大学 客員教授 西島 和三
超音波治療の推進および治療機器開発に欠かせない生体の音響的シミュレーション研究
東京大学大学院 工学系研究科 機械工学専攻 特任研究員 佐々木 明
研究報告
QM/MD/CGMのマルチスケール分子シミュレーションの実現(分子スケールWG)
大阪大学蛋白質研究所  米澤康滋/山中秀介/下山紘充/山﨑秀樹/中村春木
理化学研究所 次世代計算科学研究開発プログラム 福田育夫
細胞レベルの精緻な代謝モデルを用いた
肝臓シミュレータの開発と実証に向けて(細胞スケールWG)

慶應義塾大学医学部 谷内江 綾子
MEGADOCKによる網羅的タンパク質間相互作用予測(データ解析融合WG)
東京工業大学大学院情報理工学研究科 秋山 泰/松崎 由理/内古閑 伸之/大上 雅史
昆虫嗅覚系全脳シミュレーション(脳神経系WG)
東京大学先端科学技術研究センター 加沢 知毅
報告
生命体統合シミュレーションサマースクール2010を開催
理化学研究所次世代計算科学研究開発プログラム 石峯 康浩(臓器全身スケールWG)
東京大学医科学研究所 島村 徹平(データ解析WG)
理化学研究所次世代計算科学研究開発プログラム 須永 泰弘(細胞スケールWG)
京都大学大学院情報学研究科 本田 直樹(脳神経系WG)
理化学研究所次世代計算科学研究開発プログラム 舛本 現(開発・高度化T)
理化学研究所次世代計算科学研究開発プログラム 松永 康佑(分子スケールWG)
生命体統合シミュレーション・サマースクール2010へ参加して
東京大学大学院理学系研究科博士課程1年 齊藤 健
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