BioSupercomputing Newsletter Vol.3

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研究報告
脳神経系WG
昆虫嗅覚系全脳シミュレーション

加沢 知毅

東京大学先端科学技術研究センター
加沢 知毅

 神経細胞(ニューロン)は情報をスパイク列の形で表現して次に伝える能力を持ち、活動に応じて入出力を変化させるために、知能の礎となっているとされています。系統発生的にヒドラ以上のほぼすべての動物にニューロンは存在し、種によらずその性質はほぼ共通しています。一方、神経回路の規模においては、人間の脳のニューロン数は1011-12個、昆虫は105-6個、線虫では302と種によりかなり差があります。昆虫は蜜をもつ花を匂いで識別し、その匂いを学習します。また、視覚や嗅覚といった複数感覚情報の統合を脳で行うことが確認されており、わたしたちが知能と定義する活動の多くを昆虫は行っています。これは個体レベルの知能を調べようとする場合、昆虫はその起源に近い重要な位置にあることを示しています。このような立場から、わたしたちは自然が進化で創り上げた知能を理解するために、昆虫の脳、特に雄カイコガの匂い源探索行動をモデルとして、その全過程をシミュレーションすることを目標にしています。わたしたちはカイコガの脳の分析を遺伝子レベル、単一ニューロン、神経回路、行動レベルとさまざまな階層から、分子遺伝学、電気生理学、イメージング、免疫組織学、行動学など多様なアプロチから行っており、多くのデータの蓄積があります。なかでも脳を作るニューロンに関しては、1600個以上から詳細な3次元構造や神経活動を計測しデータベース化しています。このデータベースは個々のニューロンの情報を登録したものとしては世界最大クラスです。これらのデータから雄カイコガの脳内で匂い情報が処理される経路は大域的にはわかっています。

 昆虫はニューロン数が少ない割に、高度な知的行動が取れるわけですから、一つのニューロンが大きな役割を果たしていると推測されます。従って、昆虫の大規模神経回路のシミュレーションを行うにあたって、わたしたちは一つのニューロンをマルチコンパートメントモデルを用いて詳しくシミュレーションしています(図1)。ニューロンは細長い樹状突起をのばした構造なので、共焦点顕微鏡画像から3次元的に撮影したニューロン形態をシリンダーのつながりとして記述します。等価回路的には一つのシリンダーは細胞外への抵抗、起電力・容量をもち、別のシリンダーとも抵抗でつながっています。入力部は化学シナプスで、神経伝達物質の到着をうけて、5-20ms程度のシナプス後電位がおこります。これがシリンダー中を伝わり、電位依存性Na+チャネルのポジティブフィードバックと電位依存性K+チャネルによる抑制により1-2msの幅をもつスパイク発火を引き起こします(図1C)。このように構成されたニューロンを脳内座標にマップして、結合させることで、神経回路シミュレーションが実現できます(図2)。

図1:細胞形態抽出によるマルチコンパートメントモデルによるシミュレーション

図2:0カイコガ前運動中枢の神経回路シミュレーション

 今説明した匂い認識から匂い源探索パターンの生成までには、概算で一万個の脳内のニューロンが関与しています。一つのニューロンを100コンパートメント程度に分けてシミュレーションした場合、ペタフロップスの性能だとリアルタイムでこれらの全体の計算をする能力があると見積もれます。感覚入力から行動出力に至る神経回路のリアルタイムなシミュレーションを行うことができれば、神経回路の一部の入力や出力を計算により置換して脳神経系の情報処理をエンハンスしたり、利用できる可能性が大きく拓けます。また、損傷した脳に対して最小の改変で情報処理機能を回復させるようなニューロリハビリテーションなどの医療につながる設計論を生み出すことが期待されます。

BioSupercomputing Newsletter Vol.3

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