脳神経系研究開発チーム
五十嵐 潤
新皮質(大脳皮質)は、哺乳類の脳の中で大きな割合を占める部位で、感覚や知覚、随意運動、学習、認知などの高次機能の処理を行っています。新皮質の領域は、視覚、聴覚、嗅覚、体性感覚など、異なる感覚情報ごとに分かれ、そのほとんどの領域で、脳の表面から深部に向かって、6層の構造がみられます。各層ごとに神経細胞の性質には特徴があり、層内、層外の神経細胞間を結ぶシナプス結合は非常に複雑ですが、規則的に形成されています。新皮質の各層の神経細胞が密接に連携して情報処理を行っていることは確かですが、具体的にどのようなルールに従って、情報処理が実行されているのかはよく分かっていません。
この情報処理機構を考える上で、注目すべき現象が、γ波やθ波と呼ばれる、特定周波数帯域の脳波です。動物がある認知行動を行うとき、新皮質ではγ波などの特定周波数帯域の脳波が発生し、さらに、連携する新皮質の領域間で脳波の相関が上昇することが報告されています。脳波は、脳の局所的な部位での電場電位の振動現象で、神経細胞の集団が同期して発生するシナプス電流が、その主な原因であるといわれています。そのため、脳波の原因である神経細胞集団の同期活動が、新皮質の情報処理機構において、何らかの役割を担っていると考えられていますが、詳細はよくわかっていません。神経細胞集団の同期活動が大脳皮質の各層のどのような神経メカニズムで発生し、層間の連携においてどのような役割を担うのかを明らかにすることが、大脳皮質局所回路の情報処理機構を理解するために必要です。また複雑な局所神経回路のシミュレーションを正しい方向に導くガイド役として、電気生理実験と直接比較できるような切り口が必要です。
我々は、共同研究者であるT. Potjans氏とM. Diesmann氏が開発している大脳皮質局所神経回路網モデルを発展させて、新皮質の層構造におけるγ周波数帯域の同期活動の役割の解明を目指して、シミュレーションによる研究を行っています(図1)。モデルは、解剖学実験によって得られた膨大な知見をもとに、新皮質の各層の神経細胞に形成されるシナプス結合のパターンを詳細に再現しています。一方、神経細胞モデルは計算量を抑えるために、これまで比較的簡単なモデルが採用されていましたが、我々は特にγ周波数帯域の同期活動に関する振る舞いを再現する必要があるため、新たに、コンダクタンスベースの抑制性介在ニューロンモデルを導入しています(図2)。コンダクタンスベースのモデルは、神経細胞の細胞膜に存在するイオンチャネルを考慮し、電気生理学的性質をより忠実に再現します。ある種の抑制性介在ニューロンは、γ周波数帯域の閾値下膜電位振動の生成や、γ周波数帯の同期活動の誘導に関与していることが生理実験によって報告されており、γ周波数帯域の同期活動を調べる上で、その性質を詳細に再現する必要あります。
この大脳皮質局所神経回路網モデルは、約8万個の神経細胞と、約5億個のシナプス結合から構成され、シミュレーションにかかる計算量は、決して小さくありません。それでも、モデルの規模は脳の表面積に換算するとわずか1mm2の範囲でしかなく、新皮質全体をシミュレーションするには、2 . 3ケタ、規模が足りません。このため、モデルの大規模化が必要になってきますが、現行の計算機では計算能力が足りません。そこで、我々は次世代スーパーコンピュータを用いた、大脳皮質局所神経回路網モデルの大規模シミュレーションに取り組んでいます。モデルの大規模化によって、新皮質のコラム構造の間で働く相互作用について、シミュレーション研究が可能になると考えています。
BioSupercomputing Newsletter Vol.2