BioSupercomputing Newsletter Vol.2

Home -> Newsletter -> Vol.2

LEADER'S TALK
脳神経系研究開発チーム

脳神経系の機能の解明をめざして
スーパーコンピュータ上に脳を創る

石井 信

脳神経系研究開発チーム
チームリーダー
石井 信

古代ギリシャの時代から、知性の源、つまり脳の機能は、私たち人類にとって最大の興味の一つです。そして、コンピュータの出現以来、コンピュータは幾度も脳と比較され、コンピュータによる知性の実現可能性について議論が繰り返されてきました。1952年にHodgkinとHuxleyはイカの巨大軸索の電気生理学実験に基づき、神経細胞膜のイオン透過性特性を電気回路(決定論的方程式)としてモデル化しました。膜電位固定実験を繰り返し、得られた定量データを説明するためにナトリウムチャネルの不活性化などを仮定として導入しましたが、その後、実際にチャネル分子の細胞内アミノ酸側鎖によって不活性化過程が実現されていることが示されました。これは世界初であり、かつ現在まで全く色あせないシステム生物学研究です。モデルの正当性を評価するために彼らが用いたのが、当時の最先端計算技術であった手回し計算機を用いたシミュレーションです。この成功研究は二つの点において示唆的です。第一に、仮説主導型の生物学研究、すなわちシステム生物学研究において、その時代における最先端計算技術が重要な役割を果たしたこと、第二に、歴史的には、計算機シミュレーションに基づく定量的生物学研究を脳神経系が主導してきたことです。

HodgkinとHuxleyのコンダクタンスベースの膜電位モデルは、その後、「NEURON」や「GENESIS」といったマルチコンパートメントモデルのシミュレーションを可能とするソフトウェアへと発展しました。さらに、「GENESIS」上で動作する、生化学シミュレーションのためのツールボックス「Kinetikit」もBhallaによって開発されています。これを使って、シナプス可塑性という神経系の基本機能を、生体分子のシグナル伝達シミュレーションにより説明する先駆的な研究が行われました。こうした事実は、脳神経系が「シミュレーションに基づく生物学研究」の重要なターゲットであり続けてきた過去の歴史を物語っています。ときに、近年のライフサイエンスにおける計測技術の発達は膨大な実験データをもたらし、それによりモデル研究の対象を大きく拡げつつあります。HodgkinとHuxleyの時代から、脳神経系のモデル研究は、計測実験によって現実に見えている数字の中から法則性を見出す「科学」の王道のなかにあったのだと思います。

時は現在に至り、欧米では脳神経系のシミュレーション研究の大規模化が進んでいます。スイスのEcole Polytechnique Federale deLausanneでは、IBM社の全面協力の下で、2005年6月より「BlueBrain Project」を実施しています。2007年には、IBM Blue Gene計算機を4ラック、8,192個のCPUを繋ぐことで10,000個の神経細胞からなる大脳皮質機能コラムをシミュレーションすることに成功しています。米国では、Pittsburgh Supercomputing CenterとSalk Instituteが、神経細胞の詳細な三次元モデル化とシグナル伝達分子の1分子レベルでの動態をモンテカルロシミュレーションで評価する「MCell」プロジェクトを実施しています。残念ながらわが国は、これまで、計算科学に基最速レベルの次世代スーパーコンピュータを利用することで、わが国独自の構想により、計算科学と大規模計算機シミュレーション技術を駆使した脳神経系研究を推進することが私たち脳神経研究開発チームのミッションです。づく脳神経系の研究はあまり注目されてきませんでした。そこで、世界最速レベルの次世代スーパーコンピュータを利用することで、わが国独自の構想により、計算科学と大規模計算機シミュレーション技術を駆使した脳神経系研究を推進することが私たち脳神経研究開発チームのミッションです。

次世代スーパーコンピュータを利用した私たちの取り組みを紹介します。これまでの欧米における研究では、外界からの情報をいかに処理するのかという「脳のマクロな機能」である計算論をとりあえず無視し、「神経回路や神経細胞のミクロな動態」の再現こそが脳神経系における機能素子の役割の解明につながるというドグマの下で進められて来ました。私たちのチームでは、まずこの構成論的な立場に立ったドグマを見直し、計算論的(帰納的)な立場を取り入れることが重要であると考えています。すなわち、脳は全体として、外界である環境との相互作用の下で動作し、かつ動的な環境に適応しながらその動作を変化させる情報処理・学習機械であることを念頭に置きます。そのなかにおいては、構成素子である神経回路や神経細胞は、環境との相互作用と適応の過程で動的に役割が決まります。つまり構成素子の挙動は、遺伝情報および外界からの情報に依存するものでなければなりません。

しかし、人間の脳は少なく見積もっても100億個の神経細胞で構成されています。それら細胞同士の神経線維による配線、各細胞での種々の機能分子の発現・活性の状態、といったパラメータはほとんどが未知です。このような複雑系のモデリング、およびそのモデルをリアルな外的環境下でシミュレーションすることは事実上不可能であるため、対象に制約を加える必要があります。そこで、私たちのチームでは、ほ乳類(特にヒト)の視覚系と、無脊椎動物(特に昆虫)の嗅覚系に標的を絞って研究開発を進めています。次世代スーパーコンピュータの稼動時までに、105個の神経細胞と109個の細胞間結合からなる大脳皮質の局所回路の動態の再現、その局所的学習機能の再現、そして、単一神経細胞内で学習および発達に関わる分子群の時空間動態の再現を目標に、大規模並列ニューロンシミュレータである「NEST」、膜骨格系シミュレータである「NeuroMorphoKit」といったソフトウェア群の開発、および、そのための基礎技術に関する研究に取り組んでいます。また、並行して研究を進める網膜モデル、眼球運動モデルと関連付けることで、視覚系全体における環境との相互作用のシミュレーションをめざしています。こうしたシミュレーションでは多数の要素モデルの連成が必要となるため、そのための大規模モデル構築共有基盤プラットフォームである「PLATO」の開発を進めています。また、昆虫の嗅覚系は105個と比較的少数の神経細胞からなるため、当初より、マルチコンパートメントの神経モデルの結合系としてシミュレーションできるようなソフトウェア・データベース環境の構築を行っています。以上の研究開発は、理化学研究所を中核的研究機関、京都大学と東京大学を研究実施機関とし、沖縄科学技術大学院大学、奈良先端科学技術大学院大学とも連携したオールジャパンの研究体制により実施されています。

BioSupercomputing Newsletter Vol.2

SPECIAL INTERVIEW
次世代スーパーコンピュータの性能を最大限に活かし
ライフサイエンス分野で世界のトレンドセッターをめざす!

次世代計算科学研究開発プログラム 副プログラムディレクター 姫野 龍太郎
LEADER’S TALK
あるがままの生きた細胞を再現して細胞のシミュレーション実現をめざす
細胞スケール研究開発チーム チームリーダー  横田 秀夫
脳神経系の機能の解明をめざしてスーパーコンピュータ上に脳を創る
 脳神経系研究開発チーム チームリーダー  石井 信
次世代スパコンの可能性を最大限に引き出すため高性能計算環境のさらなる充実を図る
生命体基盤ソフトウェア開発・高度化チーム チームリーダー 泰地 真弘人
研究報告
全電子計算に基づくタンパク質反応シミュレーション
東京大学生産技術研究所(分子スケールWG) 佐藤 文俊/平野 敏行/上村 典子/恒川 直樹/松田 潤一
オイラー型流体・構造連成手法
東京大学大学院工学系研究科 杉山 和靖
大脳皮質局所神経回路網モデルの大規模シミュレーション Cortical Microcircuit Developed on NEST
脳神経系研究開発チーム 五十嵐 潤
次世代の分子動力学シミュレーションプログラム開発
生命体基盤ソフトウェア開発・高度化チーム  小山 洋/大野 洋介/舛本 現/長谷川 亜樹/森本 元太郎
参画機関map /研究開発体制
異分野研究者を横断 バイオスーパーコンピューティング研究会の誕生
イベント報告/イベント情報/ロゴマークについて