細胞スケール研究開発チーム
チームリーダー
横田 秀夫
理論生物学にはいろいろなアプローチがあります。分子動力学計算に基づくミクロ的な視点からのアプローチもあり、マクロ的な視点からの力学シミュレーションもあります。私たちは、どちらかといえばマクロ的な視点から細胞にアプローチしていこうと考えています。これまで生物の形の情報をデジタル化するという研究をやってきて、すでにマウスの全身の形状データを10μmの分解能で取れるようになっています。さらに、生きたままの細胞の映像を記録するライブ・セル・イメージングの技術が発達したことにより、今では生きている細胞をデジタルデータ化して、さらにそれが動いていくデータも得られるようになりました。つまり、形状を含めた細胞の現象を、そのまま4次元的にデジタルデータ化することができるわけです。しかし、イメージングによって見えるものは限られており、細胞内部では、理解できない現象が数多くあります。そこで、バーチャルな細胞の形状モデルを構築し、そこで何がおきているのかをシミュレーションによって明らかにしていきたいと考えています。
細胞のなかでおきている現象を理解するための重要なファクターは何か。その一つは細胞のなかの化学反応のネットワーク、もう一つが構造的なものとして機能している膜です。化学反応(代謝)は、将来的には分子動力学ベースで計算できるかもしれませんが、とてつもなく計算コストがかかります。そこで、細胞のなかで支配的と思われる化学反応によって擬似的に表現することによりシミュレーションしようとしています。実はこの分野には、例えば「E-CELL」(慶応義塾大学先端生命科学研究所)や「Cell Illustrator」(東京大学ヒトゲノムセンター)をはじめ、すでに先行研究があります。しかし、これらは細胞を均一な物体が入った閉じた袋と考えたり、極端に単純化されたものとして化学反応のシミュレーションを行っています。つまり、細胞内の場を考慮しないシミュレーションです。しかし、実際の細胞には形状があり、オルガネラ(細胞小器官)があり、このオルガネラで機能を分担しています。ゴルジ体やミトコンドリアなど、それぞれの場所でおこる反応には違いがあります。ですから、その空間を入れたシミュレーションが必要であり、そうすることによって、あるがままの細胞をコンピュータ上につくり出したいと考えています。そのためには、細胞のなかでおきる化学反応とともに、物質が細胞のなかで広がっていく拡散や細胞骨格によって運ばれる能動輸送を記述することが求められます。さらに、もう一つ重要なのが膜の機能です。細胞膜には特定のイオンを透過させるチャネル、ATPというエネルギーを使って物質を運ぶポンプ、細胞外からのシグナルを受け取る受容体などの機能があります。これらも合わせてシミュレーションしていきたいのです。場所を含めて、細胞でおきている現象を全部解いてしまう、これが私たちの取り組みです。
場については、もうひとつ重要なことがあります。細胞は単体で存在しているわけではありません。例えば肝臓なら肝臓という臓器の機能を果たすために、場所によってそれぞれの細胞が役割を分担しています。同じ肝臓の細胞でも、肝臓内の場所によって内部の反応は変わるのです。周囲の環境によって役割分担する細胞を再現するためには、場を入れないシミュレーションでは意味がありません。
あるがままの細胞を再現し、そのシミュレーションを行うために、私たちは細胞を100nmに区画された格子状の空間に置き、そこに細胞内現象の実測データから得られた情報を取り込み、100万ボクセル空間(1003)で化学反応、拡散、膜透過の連成計算を行うためのアプリケーション・ソフトウェア(RICS)を開発しています。このシステムは、特定の細胞に特化したシミュレーションではなく、どの様な細胞でもシミュレーションできる様に開発しています。このプロジェクトの中では、開発する細胞のターゲットを肝細胞におき、今後は肝小葉のシミュレーションを実現させていく計画です。ただ、シミュレーションは目的ではなく、生命現象や生命の機能を理解するための道具であり、さらに医学的にも意味のあるシミュレーションを行っていくことが大事です。そのために、例えば薬剤によって細胞がどのような反応を見せるかといったシミュレーション、癌や臓器切除時の解析にもつなげていきたいと考えています。さらに、場を入れた計算が不可欠な人工臓器や再生臓器の設計の為のシミュレーションとしても展開していきたいと考えています。
BioSupercomputing Newsletter Vol.2