東京大学工学系研究科
伊井 仁志(臓器全身スケールWG)
血管内壁が損傷を起こすと、そこで血栓が形成されます。通常、軽い怪我をしてもある程度時間が経てば出血が止まるのは血栓のおかげであり、この止血こそが血栓の主な役割です。形成された血栓は止血後に溶解されますが、何らかの要因で形成された血栓が消えず肥大化し血管を防いでしまったり、肥大化血栓が剥がれて末端の血管で詰まり血流を塞いでしまうこともあります。このような血栓をもとに、脳こうそく、心筋こうそくなどが引き起こされ、またエコノミークラス症候群(ロングフライト血栓症)も血栓が原因で発症します。こうした理由から、血栓形成を阻害する薬剤が臨床の場で用いられています。しかしながら、止血に携わる正常血栓に対しても作用する可能性があるため慎重に薬剤を投与する必要がありますが、人体内の血流中において薬剤の効果を前もって見積もるのは非常に難しいとされています。このような背景から、我々のグループでは血栓形成をシミュレーションで再現することを目指しており、例えば、新薬開発の際に血流中での薬効を把握するのに役立てたいと考えています。
血栓形成過程においては、損傷血管壁への血小板の接着、血小板同士の凝集、また赤血球をも取り込んだ凝固などが、血流や細胞代謝など様々な要因を伴い段階的に起こっています。ここでは、その初期過程である血小板が損傷血管壁に付着する血小板一次凝集を対象にします。この過程においては、血管内皮細胞下のコラーゲンに付着したvWF(vonWillebrand factor)と血小板表面に分布するGPIbα(glycoprotein Ibα)が結合することで、血小板が損傷血管壁に接着します。このような現象を解析するため、赤血球・血小板を含んだ血流現象と、血小板表面・損傷血管壁でのGPIbα-vWF結合現象を、統合的に取り扱う手法を開発しています(図1)。
血流中において赤血球の容積率は45%程度と非常に割合が大きいため、血管径がマイクロメートルサイズになると、血流の流動特性は赤血球の影響を受けるため血小板の凝集にも強く関わってきます。また赤血球は非常に軟らかく変形しやすいため、流動場とあわせた相互作用現象となります。これらの現象を非常に多くの赤血球が含まれる系で解析する必要があるため、我々のグループでは計算効率に優れかつ血流解析と親和性の良い新たな解析手法を提案しています[1,2]。実験的に得られている赤血球の物理特性を用いて解析を行ったところ、図2に示すように、流動場における実際の赤血球の変形挙動と比べて妥当な結果が得られました。
血小板一次凝集の解析においては、血小板表面のGPIbαと損傷血管壁のvWFとの結合を考慮する必要があります。これらは分子スケールでの現象ですが、現状では血流とあわせた相互作用的な解析は不可能なので、そのような結合現象を統計的に取り扱うことができる手法を導入し、血流解析と組み合わせています。図3に示すのは解析事例の一例で、血小板表面のGPIbαと壁面底部(損傷血管壁を想定)のvWFが結合を起こし、血小板が血管壁に接着している様子を再現しています。
今後は、血小板細胞の代謝反応をモデリングすることで血小板同士の凝集を取り扱い、血栓形成過程を段階的に再現していく予定です。
【参考文献】
[1] K. Sugiyama, S. Ii, S. Takeuchi, S. Takagi and Y. Matsumoto, A full Eulerian finite difference approach for solving fluid-structure coupling problems, J. Comput. Phys., 230 (2011) 596-627.
[2] S. Ii, X. Gong, K. Sugiyama, J. Wu, H. Huang and S. Takagi, A full Eulerian fluid-membrane coupling method with a smoothed volume-of-fluid approach, Commun. Comput. Phys. (2011) accepted.
[3] P. Gaehtgens, C. Dührssen and K.H. Albrecht, Motion, deformation, and interaction of blood cells and plasma during flow through narrow capillary tubes. Blood Cells, 6 (1980) 799-817.
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図1:血小板一次凝集に向けた解析の模式図 |
図2:流動場中の赤血球の変形挙動[3]と |
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図3:GPIbα-vWF結合を考慮した流体解析における血小板接着の様子 |
BioSupercomputing Newsletter Vol.5