HPCI戦略プログラム 分野1 予測する生命科学・医療および創薬基盤
東京大学情報理工学系研究科
中村 仁彦
(分野1-課題3)
ロボティクスで開発されてきた効率的な剛体系の動力学計算を基礎にして「逆システム」[1]として、人間の身体の中の情報を力学とフィードバック構造から推定する技術を開発してきた[2][3]。身体の外からの計測と計算で身体の中の情報を覗き見ようというわけである。
CRESTの領域「脳を創る」(研究統括:甘利俊一)の一つのプロジェクトを1998 ~ 2003年まで実施し、ヒューマノイドロボットの身体の運動パターンを抽象的な非線形ダイナミックスの引き込みを用いて生成・制御する研究をスタートさせた。一方で、ロボットの順動力学計算法としてO (log N)で計算できるAssembly and Disassembly Algorithmと呼ばれる並列計算法を開発した[4]のがきっかけで、人間の全身の筋骨格系を物理モデルとして計算することを始めた。全身の155自由度の骨格系を997本のワイヤーで引っ張るモデルである[5]。その後の2つの科研費 基盤研究 (S)「知能の力学的情報処理モデルの展開」(2003-2007年度)「身体運動と言語を統一した人間・機械コミュニケーションの成立」(2008-2012年度)を通じての柱の一つとなっている。
推定はモーションキャプチャーで計測した運動の幾何情報から、質量をもった骨格(人間の全質量を骨格に配分している)に加わる力を逆動力学計算法によって計算することから始まる。質量をもたないワイヤーモデルで表した全身の筋の張力を逆算することが次の計算である。ワイヤー張力は正または零とする不等式拘束条件を受ける。155<997の大規模な冗長性をもつ問題を2次計画問題として解を探索する。拮抗筋の活動を考慮できるように、モーションキャプチャーの際に無線筋電計を身体に取り付け最大32チャンネルの筋活動度を計測する。最適化問題ではこの活動度を参考にしながら2次計画問題を解くのである(図1)。
好奇心はさらに内へと進み、筋活動から神経活動を推定する逆モデルを構成する方法に向かい、脊髄から末梢へ向かう運動神経系を扱かう。脊髄神経とは、脊髄から出る合計31対の末梢神経(頚神経8対、胸神経12対、腰神経5対、仙骨神経5対、尾骨神経1対)であり、これらはそれぞれ前枝、後枝となり124本の神経束に分かれる。各神経束が投射する骨格筋は明らかになっている。124本の神経束を同数の信号路と見立てて、その活動を推定する。脊髄の中には全結合型の数学的ニューラルネットワークを置き、神経束の活動度と、脳から下りてくる随意信号(ここに様々な仮説を用いる)によって学習させる。こうして得られた脊髄のニューラルネットワークは、神経系が解剖的な身体モデルと人間に特有の運動パターンに特化して最適化されたものとして、脊髄による反射弓を表している(図2)。
戦略プログラム課題3:「予測医療に向けた階層統合シミュレーション」(代表:高木周)では、筋や内臓などに質量を分散させたモデルを作り、弾性変形に伴う収縮・接触の応力分布を計算することで全身神経筋骨格モデルの高次元モデルとその並列計算アルゴリズムの開発に取り組んでいる。高木Gの骨格筋の筋繊維からのマルチスケールモデル、銅谷Gの大脳基底核モデルと統合することで、例えば、パーキンソン病において大脳基底核のドーパミン代謝系の変化が歩行やリーチングなどの動作の変化として出現するメカニズムを再現することを目指している。これによって、創薬、診断、治療に役立つ予測医療の基盤計算技術を確立する。
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図1:筋活動の可視化 |
図2:脊髄反射モデルの構成 |
【参考文献】
[1] |
金子勝, 児玉龍彦. 逆システム学―市場と生命の仕組みを解き明かす. 岩波新書(新赤版875), 2004. |
[2] |
A. Murai, K Yamane, and Y. Nakamura.Modeling and identification of human neuromusculoskeletal network based on biomechanical property of muscle. Proceedings of the 30th IEEE EMBS Annual International Conference, Vancouver, Canada, 2008. |
[3] |
A. Murai, K Yamane, and Y. Nakamura. Effects of nerve signal transmission delay in somatosensory reflex modeling based on inverse dynamics and optimization. Proceedings of the 32nd IEEE International Conference on Robotics and Automation, pp. 5076 5083, 2010. |
[4] |
K. Yamane and Y. Nakamura. “Efficient Parallel Dynamics Computation of Human Figures”. Proceedings of IEEE International Conference on Robotics and Automation (ICRA2002), 1:530-537, Washington D.C., May, 2002. |
[5] |
Y. Nakamura, K. Yamane, Y. Fujita, and I. Suzuki. Somatosensory computation for man-machine interface from motion capture data and musculoskeletal human model. IEEE Transactions on Robotics, 21:58-66, 2005. |
BioSupercomputing Newsletter Vol.6